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福井地方裁判所武生支部 昭和50年(ワ)60号 判決 1978年10月31日

原告 堀内哲夫

被告 国

代理人 岩原良夫 朝倉信夫 吉岡幸治

主文

被告は原告に対し、金五八一万九、四一二円および内金五二八万九、四一二円に対する昭和五〇年九月九日から完済まで年五分の割合による金員を支払え。

原告のその余の請求を棄却する。

訴訟費用はこれを五分し、その三を被告の、その余を原告の各負担とする。

この判決の第一項は、原告が金一〇〇万円の担保を供したときは、仮に執行することができる。

ただし、被告が金二〇〇万円の担保を供したときは、右仮執行を免れることができる。

事  実<省略>

理由

一  本件事故の発生

原告主張の日時、場所において、原告の運転する原告車と訴外大倉の運転する訴外車とが衝突する交通事故(本件事故)が発生したことは当事者間に争いがない。

二  本件事故現場付近の状況ならびに本件事故発生の状況および原因等

1  本件事故現場付近の重要性

本件事故の発生した国道八号線は、新潟市を起点とし、福井県嶺北地方のほぼ中央部を南北に縦断して京都市に通ずる一般国道で、我が国北陸地方における動脈として、産業・経済・文化の発展および社会開発に多大の寄与をなしている国の重要幹線道路であること、本件事故現場付近が、「積雪寒冷特別地域における道路交通の確保に関する特別措置法」三条一項に基づき、建設大臣により「積雪寒冷の度が特にはなはだしい地域において道路交通の確保が特に必要であると認められる道路」に指定されていること、はいずれも当事者間に争いがない。

2  本件橋上道路の構造その他の状況

<証拠略>ならびに弁論の全趣旨を総合すれば、次の事実が認められる。

本件事故現場は、福井県嶺北地方の平野部を流れる一級河川日野川に架設された全長一七四メートルの鯖江大橋上道路(本件橋上道路)のほぼ中央付近で、原告車と訴外車との衝突地点は、同橋西端から橋上東方へ約一〇〇メートル、中央線から南方へ約一メートルの西行車線上の地点である。本件橋上道路は、おおむね東西方向に直線状に走る幅員約九・五メートルのコンクリート完全舗装(ただし、橋梁継ぎ目周辺は一部アスフアルト舗装、<証拠略>中、橋上全部がアスフアルト舗装との部分は措信しない。)道路で、同橋上道路には、橋の温度変化等による伸縮に対応するため約二九メートル間隔に五箇の橋梁継ぎ目(以下、この継ぎ目を東から順に「P1・P2・P3・P4・P5」の符号で表示する。)が設けられており、右各継ぎ目には特別に加工されたジヨイントシールゴムが挿入され、その継ぎ目の両側にはそれぞれ幅二〇センチメートル余りにわたりアスフアルト舗装が施されている。本件橋上道路は、中央部分が東西各端より心持高くなり、強いて言えば蒲鉾形を呈しているとはいえ、全体としてほぼ平坦状であるが、P5・P4等の各橋梁継ぎ目周辺のアスフアルト舗装部分は、コンクリート舗装部分の路面がきわめて僅かながら弓型に凹んでいることもあつて、本件事故当時コンクリート舗装部分より相対的に少し盛り上つており、約二センチメートル前後の高低差があつた。そのため、車両が右各橋梁継ぎ目部分を通過する際、車体後部がやや浮き上り縦揺れする状況にあつた(これを否定する趣旨の<証拠略>は措信しない)。また、本件橋上道路は、直線かつ平坦状のため見通しは良好であり、同橋の東西各端からそれぞれ東方、西方にかけて緩やかな下り勾配になつているが、適当な明かるさの下であれば同橋上道路に至る進路の幾らか手前で橋上路面の状況を確認できないことはない。ただ、本件事故当時は未明で、橋上に水銀灯があるも暗かつたため、車両運転者が西から東へ向けて本件橋上道路に進入する場合、その進路手前で前照灯をたよりに橋上路面の凍結の有無やその状態を識別することは、さほど容易ではなかつたものと推認される。

更に本件橋上道路は、道路中央部に黄色ペイントで中央線が標示され、東行と西行の各一車線で、歩車道の区別がなく(歩道橋は、本件事故後本件橋上道路の南側沿いに同橋上道路と並行して架設された。)、南北両側に高さ約一メートルの欄干が設置されており、制限最高速度は本件事故当時四〇キロメートル毎時と規制され、本件事故以前から車両の交通量は昼夜とも多く、その中には県外から流入する県外者運転の車両もかなり含まれていたものと見込まれる。そのうえ、本件橋上道路は、平野部に隆起して位置し、冷水河川上に宙に浮いていて同橋下は吹き抜けになつているため、冬型の気象状況の下においては、真正面から寒気に曝され保温性に欠けていて路面の温度も降下し易いので、地熱伝導のある積雪寒冷特別地域の他の道路部分と比較して路面が凍結し易い箇所となつている。

3  本件事故当時の気象状況および路面の凍結状態

<証拠略>ならびに弁論の全趣旨によれば、次の事実が認められる。

本件事故が発生した日より数日前の昭和三八年三月二〇日は、福井県地方はフエーン現象により気温が上昇し、久し振りに春らしい陽気となつたが、本件事故前日の三月二五日から事故当日の二六日にかけて大陸からかなり強い寒気が南下し、石川県輪島の五キロメートル上空で摂氏零下三三度と真冬並みの温度となつた。この寒気によつて、本件事故現場を含む福井県地方は、平年より三ないし四度も低い気温となり、最低気温が二五日で摂氏〇・七度、二六日で摂氏〇・〇度を記録して「寒の戻り」に見舞われ、二六日未明から降り出した雪は福井市で六センチメートルを記録した。本件事故当時、本件事故現場付近では小雪ないしみぞれが降つていたが、福井市以南における国道八号線は山間部のごく一部を除いて路面の凍結は見られず、湿潤していたにすぎなかつた。しかし、本件橋上道路部分のみは、右寒気の影響で、本件事故当日の未明から事故当時にかけて路面が凍結し、滑り易い状態になつていた(ただし、路面凍結の細かい状態については、これを認めるに足りる証拠がない)。

4  本件事故発生の状況および原因

(一)  <証拠略>を総合すれば、次の事実が認められる。

訴外大倉は、気候温暖な岡山県に在住し、昭和四八年一月一三日から岡山市内の中国陸送株式会社に自動車運転手として勤務していたものであるが、車両を運転して積雪寒冷特別地域の道路を冬期間通行した経験がなく、また当該道路事情にも疎かつた。同人は、同会社から、新車に近い訴外車を岡山市から石川県羽咋市まで陸送するよう命ぜられ、同車を運転して同年三月二五日午後五時頃岡山市を出発し、途中三回ばかり休憩をとつただけで夜を徹して走行を続け、翌二六日午前五時二〇分頃、国道八号線を福井県武生市方面から福井市方面に向け前照灯を下向きにして時速約四〇ないし五〇キロメートルの速度で北進、次いでカーブして東進し、本件事故現場に差しかかつた。同人は、本件事故当時、四輪とも普通タイヤのままでタイヤチエーンもスノータイヤも装備していなかつたが、本件橋上道路部分が前記二3認定のとおり凍結していて滑り易い状態になつていたのにかかわらず、減速徐行することなく漫然と前記速度のまま同橋上道路の東行車線を通行しようとしたため、後記(二)認定のような原因に基づき訴外車の車体後部を右に振り、スリツプして同後部を中央線から対向車線である西行車線にはみ出したうえ斜め状態で同車を滑走させ、折柄西行車線を直進してきた原告車の右前角に訴外車の右側面を衝突させた。衝突時、訴外車は進行方向に約四五度傾き、中央線を右後部で約二・四メートルオーバーしていた。

一方、原告は、国鉄武生駅で電車に乗るため、原告車を運転して事故当日午前五時五分頃原告肩書住所地の自宅を出発し、武生市へ向け前照灯を下向きにして時速約四〇キロメートルで南進、次いでカーブして西進し、本件事故現場に差しかかつた。原告は、本件事故当時、原告車の両後輪にスノータイヤを使用していたが、減速徐行することなく漫然と前記速度のまま本件橋上道路の西行車線に進入し、(1)同橋東端から約三九メートル(<証拠略>に「一〇メートル位」とあるが措信しない。)進行した地点で、約七八メートル前方を対向してくる訴外車の前照灯が左右にふらついたのに気付き、(2)右(1)の地点から約一三メートル進行した地点で、約四七メートル(<証拠略>中に「約七〇メートル位」とあるが措信しない。)前方に訴外車が車体後部を右に振り中央線をオーバーし横滑りの状態で東進してくるのを認め、危険を感じて二、三回ブレーキペダルを軽く踏み込んだものの、路面の凍結によるスリツプを恐れてそれ以上に強く踏み込むことができなかつたため、思うように制動の効果が現われず、そのままずるずると前進を続け、(3)さらに右(2)の地点から約二二メートル進行した地点で、滑走してくる訴外車の右側面に原告車の右前角を衝突させた。

(二)  ところで、訴外大倉が訴外車の車体後部を右に振り、スリツプして同後部を中央線からはみ出したうえ斜め状態で同車を滑走させる契機となつた原因については、同人が本件橋上道路を走行中の状況ないし本件事故発生の状況を全く記憶しておらず(この点について、<証拠略>によれば、訴外大倉は、本件事故により頭を打ち事故当日の夕方まで意識不明に陥り、意識回復後も事故のときの記憶が戻らない旨供述している。)、これを詳らかにする的確な証拠は存しない。

しかしながら、前記2・3および4(一)で認定したとおりの、本件事故当時、本件橋上道路が凍結していて滑り易い状態にあつたこと、P5・P4等の各橋梁継ぎ目周辺のアスフアルト舗装部分がコンクリート舗装部分より少し盛り上つていて若干の高低差があつたこと、そのため車両がその継ぎ目部分を通過する際、車体後部がやや浮き上り縦揺れする状況にあつたこと、訴外車がタイヤチエーンやスノータイヤを取り付けずに相当な速度で本件橋上道路を通行しようとしたこと等の事実のほか、<証拠略>により認められる訴外車には当時ハンドル、ブレーキ、タイヤ等に故障その他の異状は何ら存在しなかつた事実、ならびに前記(一)認定の程度を越えて、本件事故当時訴外大倉に本件事故と直結するような粗暴運転、運転操作の誤り、あるいは注意判断の不良があつたということを認めるに足りる的確な証拠が見当たらない点に照らして考えると、本件事故の契機となつた原因については、訴外大倉は、訴外車を運転して本件橋上道路のP5・P4の各橋梁継ぎ目部分を通過する際、路面の凍結および右各橋梁継ぎ目周辺の盛り上りないし高低差に基因して何らかのはずみで訴外車の車体後部を右に振り、スリツプして同後部を中央線から西行車線にはみ出したうえ斜め状態で同車を滑走させるに至つたものと推認するのが相当である。

5  本件橋上道路の管理状況

(一)  <証拠略>ならびに弁論の全趣旨によれば、次の事実が認められる。

国道八号線のうち福井県内分九一・五キロメートルの維持管理業務は建設省近畿地方建設局福井工事事務所が担当しており、同工事事務所では、そのうち本件事故現場を含む石川県境から敦賀市杉津に至る六七・五キロメートルの区間の右業務を同工事事務所福井国道維持出張所(以下「出張所」という。)に分担させていた。出張所には、本件事故当時出張所長のほか一九名の職員がおり、一般事務員として五名、工事監督関係技術員として三名、道路パトロール・路面の維持管理・雪寒期の除雪・凍結防止等の作業管理係員として四名、機械電気関係の点検・運転等の係員として七名が配置されていた。平常における一般的な道路管理は、パトロール車で担当区間全域の道路状況を監視・点検して回り、異状があつた場合はその場で直ちに措置し、措置できないときは出張所に無線で連絡するという方法によつていた。そして休日・祭日を除く週日の場合は、職員がパトロール車に塔乗して昼夜を合わせ一日一回道路状況をパトロールし、休日・祭日の場合は、特別の場合を除き昼間だけのパトロールを民間の業者に請負形式で委託していた。

特に冬期間においては、本件事故現場を含む一帯の地方が降雪量の多い地域であるところから、前記工事事務所では、管内の国道八号線が前記1のとおり重要幹線道路であることにかんがみ、積雪等による交通の支障を除去すべく、昭和四七年に警察・気象台等関係諸機関と十分な打合わせや連絡調整をしたうえ、過去五か年の実績および長期天気予報を参考にして、同年一二月一五日から翌年三月一五日まで九一日間(ただし、気象状況等を勘案して変更することがある)を雪寒対策期間と定め、前記一般的な巡回に加えて、別途の冬期道路管理態勢をとつていた。すなわち、除雪および凍結防止作業実施区間・箇所ならびに積雪観測地点の設置、同対策に対応する組織編成(福井工事事務所長を対策部長として総務班・対策班・福井作業班・敦賀作業班・予備班を編成し所定の各職務を分担させる。)、除雪作業・凍結防止作業の基準および作業要領、情報連絡系統、広報手段等を予め定めて、これによつて、その時々の気象状況に即応した道路管理を実施していた。雪寒対策の出動態勢は、その期間中平常態勢であるが、気象情報および現地の情況を総合判断し、除雪または凍結防止作業の必要が予想されるときには、対策部長が警戒態勢を発令し、同態勢に入ると、福井・敦賀各作業班は、数区に分けられた各工区毎に除雪要員の出動および警戒勤務要員の増員を行い、有効適切に除雪作業ならびに凍結防止作業を実施する手筈になつており、出張所・大良基地には各三名の職員を配備し、そのうち各二名をパトロールに当たらせ、必要に応じて各工区の作業要員に連絡したり指示させるようにしていた。凍結防止作業の要領については、その目的につき、凍結防止は路面の凍結および圧雪によるスリツプ防止を目的とするが除雪作業の一助として行うものであると定められ、凍結防止基準のうち、(1)実施内容につき、凍結防止区間において凍結を予防しあるいは融雪を行い路面を良好に維持する、(2)出動基準につき、路面湿潤または積雪ある場合で気温が摂氏零度以下となるとき、(3)施工法につき、撒布車を用い毎時一〇ないし三〇キロメートルの速度で直撒きあるいは撒水車で溶液を撒布する旨定められていたほか、福井作業班・大良基地・3工区に所属する凍結防止箇所として、鯖江大橋・下司橋およびその前後の区間が指定されていた。

しかして、雪寒対策期間中における本件橋上道路の管理としては、右の雪寒対策計画に基づき積雪があれば除雪、路面凍結があれば凍結防止の薬剤撒布作業を行つていたほか、ドライバーに対して同橋上道路の凍結によるスリツプの危険を警告する趣旨で本件橋上道路の東側および西側付近に「スリツプ注意」、「橋上凍結注意」の警告看板を設置し、さらに同橋上道路端近くに「融雪剤あり、凍結スリツプ時にご自由にお使い下さい」という看板を立てて、その下に融雪剤を入れた箱を置いていた。

(二)  <証拠略>ならびに弁論の全趣旨を総合すれば、次の事実が認められる。

本件事故前日の三月二五日から事故当日の翌二六日にかけては、前記雪寒対策期間を経過していたので、同対策に対応する組織は既に解体されており、出張所では通常の勤務態勢を敷いていた。本件事故前日の二五日は日曜日であつたため、委託業者が出張所から貸与されたパトロール車により午前八時三〇分頃から同一一時三〇分頃までの間、福井市今市町所在の出張所(同所から本件橋上道路までの距離は約九・五キロメートル)から金津町牛の谷の県境までの国道八号線約三〇・六キロメートルを往復パトロールし、午後一時頃から同四時頃までの間、本件事故現場を含む出張所から敦賀市杉津までの同国道約三七キロメートルを往復パトロールした。出張所では、業者から同日午後のパトロールで南部山間部にみぞれが降つているという連絡を受けたので、業者に指示して同日午後七時三〇分頃パトロール車で出張所から敦賀市所在の大良基地に向けて出発させ、同基地を中心に翌二六日午前七時頃まで同方面のパトロールに当たらせた。ところが、二五日午後一〇時三〇分頃福井県金津警察署中川検問所から出張所の宿直員のもとに電話がかかり、「積雪が三センチメートルあるのに融雪装置が作動していないので、パトロールされたい。」旨依頼があつたので、これに対処するため宿直員は直ちに当時の出張所長に電話連絡を取り、出張所長は更に他の職員一名に連絡を取つて同人と共に出張所に出向き、急拠、出張所長以下三名によるパトロール班を編成のうえ、出張所長が宿直室に待機し他の職員二名が道路のパトロールに当たることになり、前記雪寒対策期間中の配備に準ずる態勢をとつた。南部山間部方面については、同方面のパトロールに当たつた業者から路面に異状がない旨の連絡が入つたので、出張所では前記パトロール依頼に応ずる必要もあつてもつぱら福井市以北のパトロールに重点を置き、本件事故前二回にわたり同方面の夜間パトロールを実施した。第一回目は、中川基地の融雪装置の作動点検を主体にしたパトロールで、二五日午後一一時二〇分頃出張所を出発、同一一時五〇分頃本件橋上道路から約二九・五キロメートル離れた丸岡大橋付近で路肩に二センチメートルの積雪があるも交通に支障のないことを確認し、翌二六日午前零時五分頃牛の谷で小雪が降つているが異常を認めず、気温が摂氏零度であることを観測し、同零時一五分頃から同一時五分頃まで中川基地の融雪装置の作動点検を行い、同一時四〇分頃出張所に帰着した。第二回目は、九頭竜橋上道路への凍結防止の薬剤撒布を主体にしたパトロールで、二六日午前四時頃出発、同四時二〇分頃本件橋上道路から約一九・五キロメートル離れた九頭竜橋上道路に右薬剤を撒布し、同四時三〇分頃横地で雪、路肩に積雪二ないし三センチメートル、同四時四〇分頃中川で小雪、路肩に積雪三センチメートル、同四時五五分頃牛の谷で道路の中心および路肩に積雪二ないし三センチメートル、気温摂氏〇・五度をそれぞれ観測し、同五時四五分頃出張所に帰着した。その後、二六日午前五時二〇分頃福井県武生警察署から出張所に対し「凍結箇所があるので融雪剤を撒布して欲しい。」旨の依頼があつたため、出張所では、本件事故が発生してから約三〇分後の同五時五〇分頃に至つて初めて武生市方面にパトロールを実施し、本件橋上道路およびその西側約五〇〇メートル離れて所在する下司橋に凍結防止の薬剤を撒布した。

本件事故が発生した本件橋上道路については、被告(出張所)からパトロールを委託された業者が本件事故前日の二五日午後一時一五分頃と同三時一〇分頃の二回パトロールを実施しており、更に南部山間部方面のパトロールを指示された業者がパトロール車で大良基地に向かう途中、同日午後八時頃現場を通過しているが、それ以後本件事故が発生するまで約九時間余りの間は、一回のパトロールも行われていない。また、雪寒対策期間中本件橋上道路付近に設置されていた前記「スリツプ注意」、「橋上凍結注意」の警告看板や凍結防止の薬剤を入れた箱などは、雪寒対策期間の終了とともに逸速く撤去されてしまい、本件事故当時本件橋上道路付近には、ドライバーに対して同橋上道路の凍結によるスリツプの危険を警告する趣旨の警告看板等は一切設けられていなかつた。ちなみに、本件事故後の昭和五一年においては、雪寒対策期間が経過したにもかかわらず三月下旬まで前記「スリツプ注意」等の警告看板や融雪薬剤箱が設置されていた。

なお、被告は、本件事故後の昭和五一年、国道八号線の南方面(武生市)から本件橋上道路に向けて進行中の車両運転者に一目で判るように、本件橋上道路西端から約七〇〇メートル手前の国道部分に「凍結注意」を大きく表示する高さ三メートル、幅五〇センチメートルの鉄製自動点燈赤色回転灯付電光掲示板(自動点燈時設定温度は路面温度零度、気温零下一度)を設置固着した。また、被告は、本件事故後の昭和四九年一一月頃、本件橋上道路の西端から東端まで消雪パイプを配設して自動的に同橋上道路の降り積もる雪を融解するための自動消雪装置を設置した。これは、本来は凍結防止のための装置ではないが、二次的にはいくばくかの凍結防止の効果をあげ得るものである。

6  本件事故前の各年における三月下旬の気象状況

<証拠略>によれば、次の事実が認められる。

福井地方気象台の観測結果を中心に、本件事故前の各年における福井県下の三月下旬の気象状況をみてみると、(1)昭和三八年においては、二三日に寒気が入り、雨や雪が降つたほか二五日朝までに二〇センチメートル前後の新雪が降り、二三日、二六日の最低気温(摂氏、以下同じ)は零度を下廻つた。(2)同三九年においては、二一日にみぞれや雪が降り、二三日には雪しぐれがあり、更に二七日未明からあられや雪が降り、福井でも一時白くなり、二四日の最低気温は零下一・五度を記録した。(3)同四〇年においては、二一日から二二日朝にかけて時々雪が降り、二六日未明から二九日朝にかけては冬型気圧配置となり、二六ないし二七日は雪が降つたりやんだりで、二八日の朝夕は雨がみぞれで、同日夜から二九日早朝にかけて山沿地方で五センチメートル前後の降雪があり、二二日、二三日の最低気温は零度を下廻り、二七日は零度を記録した。(4)同四一年においては、二五日は弱い冬型の気圧配置となり、晴れ間も見えるが雨や雪の降る天気で、二九日から三〇日は冬型の気圧配置となり、気温低く、雨であられや雪がまじり、山間部では一〇センチメートル程度の新雪が降り、二七日の最低気温は零下〇・二度であつた。(5)同四二年においては、二三日は冬型の気圧配置となり、午後には雨が雪に変り、二四日の朝までには各地に一〇ないし二〇センチメートルの新雪が降り、二四日も気温が低く、終日雨やみぞれが降つており、同日の最低気温は零度を示した。(6)同四四年においては、二一日夕方から二二日の日中にかけて冬型の気圧配置で気温が下がり、みぞれや雪が降り、山沿地方で五ないし一〇センチメートル、平野部でも一時若干積もり、二四日の最低気温は零下〇・二度であつた。(7)同四五年においては、二一日、二三ないし二五日の昼間および二二日、二四日の夜間は雪が一時あるいは時々降る天候で、二一日から二七日までおよび三一日の最低気温がいずれも零度を下廻つた。(8)同四七年においては、三一日午後から気温が急降下し、同日夜半頃からあられが降り、四月一日は小雪が降り二日朝まで続いたほか、三日朝は冷え込んで最低気温が零下〇・八度を記録し、各地に霜や結氷があつた。

7  本件橋上道路の路面凍結時における他の事故例

<証拠略>によれば、次の事実が認められる。

昭和四五年以降本件事故時までの間本件橋上道路において、路面凍結時における交通事故が次のとおり四件起きている。(1)昭和四六年三月四日午後一〇時頃本件橋上道路を毎時五〇キロメートルで西進中の特定大型貨物車が、対向車の照明に眩惑されて自車前方の事故車の発見が遅れ、ハンドルを右に切つてブレーキをかけたが路面凍結のためスリツプし、危険を感じて停止した対向車と衝突した。(2)前同日午後一〇時三〇分頃毎時六〇キロメートルで北進中の普通乗用車が、前方に普通乗用車の停止していることおよび路面が凍結していることに気付くのが遅れて追突した。(3)昭和四七年三月五日午前七時頃約二〇ないし三〇キロメートルで南進中の特定大型貨物車が、前方同一方向に停車していた車両を認めながら八・四メートルに接近してから急ブレーキをかけたところ、路面凍結のためスリツプし同車両の後部に追突した。(4)昭和四八年二月二四日午後六時頃本件橋上道路を時速約四〇キロメートルで南進中の普通貨物車が、前車を追い越した際、路面凍結のためスリツプし左側の欄干に激突して負傷した。

三  本件橋上道路の管理瑕疵の有無

1  本件橋上道路が被告の管理にかかる道路であることは当事者間に争いがない。

そこで、本件事故当時、本件橋上道路の管理に瑕疵があつたか否かについて判断する。

前記二認定の事実によれば、本件事故当時、本件橋上道路は路面が凍結していて滑り易い状態になつていたが、同橋上道路がその地形的、構造的条件の故に他の国道部分と比較して凍結し易い箇所となつており、被告においては雪寒対策の中で同橋上道路を含む一定区間を凍結防止箇所として指定し道路管理上、重点を置いていたこと、本件事故現場を含む福井県地方が事故前日から当日にかけて寒の戻りに見舞われたため、被告出張所職員において急拠福井市以北の夜間パトロールに当たり、本件事故前に同方面の積雪量や低下した気温を観測するなどして気象状況の急変化を具さに認識していたこと、前記二6認定のとおり福井県地方では三月下旬になつても何日かは冬型の気象状況に逆戻りすることが珍しくなく、毎年の如く各地で積雪や氷結の現象が見られること等の事実のほか、福井市以北と本件事故現場を含む同市以南との間で地理的、地形的にみて気象条件にさほど顕著な差異があるとは考えられない点に徴すると、被告(出張所)において、本件橋上道路の路面が寒気の襲来に伴う気温の急激な低下により場合によつては凍結現象を起こすということを事前に十分予見し得たものというべきである。

しかしながら、路面の凍結現象は、気温の低下・風向・風力等の気象条件に大きく左右される自然現象であつて、地域によつては一過性にすぎない場合も多いので、道路管理者の側において事前に路面凍結の発生時期・場所を予測することは一般的にきわめて困難であるうえ、路面の凍結を完全に防止・排除するには財政的な面、人的・物的な面でどうしても一定の制約を免れないこと、したがつて、また、路面の凍結により交通上の危険が生じたような場合には、道路を利用する車両運転者の側においても、それに即応して社会通念上要求される一般的な運行方法ないし態度をとり、自らその危険を回避すべきであると考えられること、以上の点を合わせ考慮すると、当該道路を利用する車両運転者が右の一般的な運行方法ないし態度をとつた場合でも、なお交通上の危険が生じるおそれがある場合につき、道路管理者においてその危険を除去し道路としての通常の安全性を確保するため凍結の防止・注意標識の設置等有効かつ適切な管理行為が尽くされていなければ、当該道路は通常有すべき安全性を欠くものとして管理に瑕疵があると解するのが相当である。

2  本件についてこれをみるに、前記二認定の事実によれば、本件橋上道路は、前日来の寒気の襲来に伴う気温の急激な低下により、本件事故当時路面が凍結していて滑り易い状態になつていたうえ、同橋上道路のP5・P4等の各橋梁継ぎ目周辺がその継ぎ目を中心に少し盛り上つて約二センチメートル前後の高低差があり、車両が同部分を通過する際、車体後部がやや浮き上り縦揺れする状況にあつたのであるから、車両運転者が社会通念上要求される一般的な運行方法ないし態度をとつた場合でも、なおスリツプによる交通上の危険が生じるおそれがあつたものと認めるのが相当である。確かに訴外大倉は、タイヤチエーンもスノータイヤも取り付けずに相当な速度で凍結していた本件橋上道路を通行しようとした点で、慎重さを欠いていたことは否めないが、同人が積雪寒冷特別地域の道路を冬期間運転通行した経験がなく、当該道路事情にも疎い県外在住者であつたこと、本件事故当時福井市以南における国道八号線は、本件橋上道路部分等ごく一部を除いて路面の凍結は見られず湿潤していたにすぎなかつたこと、また本件事故当時車両運転者が西から東へ向けて本件橋上道路に進入する場合、その進路の手前で右橋上路面の凍結の有無ないし状態を識別することはさほど容易ではなかつたこと、前記二7認定のとおり本件橋上道路では発生の時期、事故の原因・態様こそ異るが、過去にも路面凍結時に四件もの交通事故が起きていること、などからみると、訴外大倉の右のような運転態度をもつて一概に前記一般的な運行方法ないし態度を逸脱したものと決めつけることはいささか過酷であると考える。また、原告も、両後輪にスノータイヤを使用していたものの、安全な速度に調節することなく、しかも後記四認定のとおり左側端に寄らずに中央線に寄りすぎて凍結していた本件橋上道路を通行しようとした点で、これまた注意が足りず後記のとおりかなりの過失を免れないが、さりとて原告の右運転態度をもつて前記一般的な運行方法ないし態度を逸脱したものということは困難である。

しかるに、前記判示のとおり被告(出張所)において本件橋上道路の路面の凍結が事前に十分予見し得たにもかかわらず、大良基地に向かう委託業者運転のパトロール車が同橋上道路を通過した二五日午後八時頃から、本件事故が発生する二六日午前五時二〇分頃までの、路面の凍結現象が最も起り易いと考えられる時間帯を含む約九時間余りの間は、当該道路のパトロールは一回も行われておらず、したがつて本件事故前、同橋上道路に凍結防止の薬液が撒布されたこともなかつた。これは、被告(出張所)が当時情勢の判断を誤り、福井市以北と本件事故現場を含む同市以南との間で気象条件にさほど顕著な差異は見受けられなかつたのに、福井市以北と南部山間部方面にのみ目を奪われ、その間に介在する本件橋上道路に対する配慮を欠いた結果であると考えられる。のみならず、前記二6認定のとおり福井県地方では三月下旬になつても冬型の気象状況に逆戻りすることが珍らしくなく、したがつて雪寒対策期間を経過した本件事故当時においても本件橋上道路の路面の凍結が十分予想され得る客観的な状況にあつたにもかかわらず、雪寒対策期間中同橋上道路付近に設置されていた「スリツプ注意」、「橋上凍結注意」の警告看板や融雪薬剤箱は同期間の終了とともに逸速く撤去されてしまい、本件事故当時本件橋上道路付近には、ドライバーに対して同橋上道路の路面凍結によるスリツプの危険を警告する趣旨の警告看板等は一切設置されていなかつた。これは雪寒対策期間にとらわれて、同期間経過後にしばしば生起する冬型の気象状況に対しての備えを怠つた結果であると考えられる。

被告(出張所)の本件事故前後における本件橋上道路に対する管理状況は以上のとおりであつて、同橋上道路が、国道八号線の一区間として県外者の運転にかかる車両も含め交通量の多い国の重要幹線道路であり、かつ、積雪寒冷の度が特にはなはだしい地域において道路交通の確保が特に必要であると認められる道路に指定されている点にかんがみると、本件橋上道路は本件事故当時、道路を常時良好な状態に保つよう維持すべき責務を負う道路管理者において有効かつ適切な管理行為が尽くされていたとは言い難い。してみると、本件橋上道路は本件事故当時通常有すべき安全性を欠いていたものというべく、したがつて管理に瑕疵があつたものと認めるのが相当である。そして、本件事故は右管理の瑕疵があつたために生じたものであるから、被告は国家賠償法二条により原告が本件事故によつて蒙つた損害を賠償する義務がある。

四  原告の過失の有無・程度

<証拠略>によれば、次の事実が認められる。

原告は、出生以来積雪寒冷特別地域である福井県に居住しており、本件事故以前から冬期に本件橋上道路を幾度となく通行してその路面の状況についてよく承知していた。

原告は、本件事故当日自宅を出発してから本件橋上道路に差しかかるまでの約一五分間に、時々小雪やみぞれが降つたりして路面が濡れ、特に浅水川に架設された橋の上が凍結して滑り易い状態にあることを認識していた(これに反する<証拠略>は措信しない。)ので、本件橋上道路が凍結していて危険な状態にあることを事前に十分予想し得たばかりでなく、原告車を本件橋上道路に乗り入れて直ぐ同橋上道路が凍結していることを認知した。それにもかかわらず、原告は、予め安全な速度に減速徐行することなく漫然と時速約四〇キロメートルで本件橋上道路を通行しようとしたため、訴外車が車体後部を中央線から西行車線にはみ出したうえ横滑りして東進してくるのを認め、慌ててブレーキペダルを軽く踏み込んだものの、路面が凍結していたためそれ以上に強く踏み込むことができず、原告車はそのままずるずると前進して訴外車と衝突してしまつた。また、原告は、本件事故当時、幅員約四・七五メートルの本件橋上道路西行車線を、中央線から約一メートル離れ、南側の路端との間に約二・二五メートルの間隔をあけて中央線に寄り過ぎた進行経路を走行した。

以上の認定事実によれば、原告は、本件事故当時、減速徐行して路面の状況に即応した適当な速度で走行すべきであつたのに、これを怠り、漫然と時速約四〇キロメートルの高速で走行した点において過失があることは明らかである。のみならず、原告車の場合、路面の凍結のため本件橋上道路でスリツプを起こし南側の欄干に衝突する危険性もあつたので、いわゆるキープレフトの原則を厳格に適用することはできないが、その点を斟酌しても、なお原告は、もう少し道路の左側に寄つて走行すべきであつたのに、これを怠り、前認定のとおり中央線に寄りすぎた進行径路を走行した点において過失があるというべきである。

しかして、原告の右過失と被告の道路管理の瑕疵とを対照考慮すると、原告の本件事故による損害の算定に当たつては、三割の過失相殺をするのを相当と考える。

五  原告の損害

1  原告の傷害および後遺障害

<証拠略>によれば、次の事実が認められる。

原告は、本件事故当時満二九才の健康な男子であつたが、本件事故により、右大腿骨開放骨折・左膝蓋骨骨折・下顎骨開放骨折等の傷害を受け、事故当日の昭和四八年三月二六日から退院する同年八月二五日まで一五三日間、福井市月見二丁目所在の福井赤十字病院に入院して当初の間は右骨折等の治療を受け、同年五月頃血清肝炎を併発したため、同年六月初め頃から退院するまではもつぱら血清肝炎の治療を受けた(以下、これを「第一回の入院」という。)。原告は、退院後も同病院に通院してマツサージ等による治療を受けたが、血清肝炎が悪化したため昭和四九年五月二二日から同年七月三一日まで七一日間、同病院に再入院してその治療を受け(以下、これを「第二回の入院」という。)、退院後も同病院に時々通院して治療を受けた。原告は昭和四九年一月三一日をもつて症状が固定したが、右大腿骨のレントゲン線検査の結果変形治癒が著明であり、肝機能検査の結果肝機能に中等度の障害を残していることが認められ、その結果、原告の後遺障害は、前記病院の医師により、前者につき長管骨に奇形を残すもの(自動車損害賠償保障法施行令二条後遺障害等級別表一二級八号)、後者につき胸腹部臓器に障害を残すもの(同一一級九号)と認定され、併合繰上げにより同一〇級に該当するものと判定された。原告は、昭和五二年一二月現在なお慢性肝炎(非活動型)により経過観察中で、同五三年二月現在股関節部分が曲がりにくく、自覚的症状として、寒くなると膝が痛くなるほか、疲労し易く、思考力が続かないと訴えている。

2  原告の損害額

(一)  得べかりし利益

<証拠略>によれば、原告は、もと勤務していた福井化学工業株式会社を退社したのち、昭和四八年初め頃から本件事故当日まで約二、三か月間、自動制禦盤等機器装置の設計製作業を営み、平均一〇万円前後の月収をあげていたことが認められるが、このような場合に営業を始めたばかりの不安定な一時期の収入を取り上げて休業損害ないし得べかりし利益の算定の基準とすることは相当でないので、当裁判所に顕著な労働省労働統計調査部昭和四八年賃金構造基本統計調査報告による産業計・企業規模計の二五ないし二九才男子労働者(パートタイム労働者を含む)の平均賃金(きまつて支給する現金給与額九万三、七〇〇円、年間賞与その他特別給与額二七万九、一〇〇円)をもつて原告の得べかりし利益とし、これを基準にして原告の休業損害ないし得べかりし利益を算定すべきである。そうすると、原告の一年間の得べかりし利益は九万三、七〇〇円の一二倍と二七万九、一〇〇円の合計一四〇万三、五〇〇円となる。

前記五1の認定事実によれば、原告は、症状が固定する昭和四九年一月三一日より前においては、第一回の入院期間一五三日間全く休業を余儀なくされたものと認められ、症状が固定した前同日以後においては、原告が六三才に達するまでの三三年間労働能力の二七パーセントを喪失したものと推認するのが相当である。そこで、原告が得べかりし利益の総額を一時に請求するについて、事故当時における現在価額を求めると、次の計算式のとおり、症状固定前における休業損害分五六万〇二五三円(ただし一円未満切捨)、症状固定以後における得べかりし利益分六九〇万八、五八四円(ただし前同)、二口合計七四六万八、八三七円となる。

1,403,500×153/365×0.9523=560,253

1,403,500×0.27×(19.1834-0.9523)=6,908,584

(二)  慰藉料

前記五1認定のような原告の本件事故による傷害の部位・程度、入通院期間、後遺障害の部位・程度等を斟酌すると、原告の精神的苦痛を慰藉するには、傷害に相応する分として金六〇万円、後遺障害に相応する分として金一〇〇万円をもつて相当と認める。

(三)  入院治療費、付添費、雑費

<証拠略>によれば、原告は、本件事故により、第一、第二回の入院による治療費として福井赤十字病院に合計二八万六、八一〇円を支払い、同額の損害を蒙つたことが認められる。

また、原告は、本件事故により、前記五1認定のとおり右大腿骨開放骨折等の傷害を受け、のち血清肝炎を併発し、二回にわたり入院してその治療を受けたところ、<証拠略>によれば、原告は、第一回の入院期間中、右傷害によりほとんど寝たきりで、昭和四八年七月初め頃になつてようやく歩行可能となつたこと、原告は、第一回の入院期間中は全期間妻(無職)の付添看護を受け、第二回の入院期間中は隔日位に妻の付添看護を受けたことが認められる。以上の事実に照らすときは、原告は、前記第一回の入院期間一五三日に限つて付添を必要としたものと推認するのが相当であり、当時近親者の付添費としては入院一日当たり一、〇〇〇円をもつて相当と認めるので、原告は、本件事故により、付添費として一五万三、〇〇〇円の損害を蒙つたことになる。

更に原告は、前記五1認定のとおり第一、第二回の入院期間を合わせて合計二二四日間入院したことになるところ、右入院期間中雑費として一日当たり少くとも二〇〇円の支出を余儀なくされたものと認められるので、原告は、本件事故により、入院による雑費として四万四、八〇〇円の損害を蒙つたことになる。

以上の合計は四八万四、六一〇円である。

(四)  物損

<証拠略>によれば、原告は、昭和四八年一月頃福井市内の株式会社マツダオート福井から、当時中古であつた原告車(車種ライトバン、車名マツダボンゴ、年式昭和四六年製、型式FPAV型、既走行距離約二万六、〇〇〇キロメートル)を二〇万八、九八〇円(車両価格一七万円、登録諸費用三万八、九八〇円)で買い受けてその所有権を取得し、以来本件事故時まで約二か月間余りこれを毎日のように運転使用していたが、本件事故により、同車を修理不能の程度に毀損されたため、本件事故後やむなく廃車手続のうえ購入先の右会社にその解体処分を委せたこと、が認められる。

ところで、中古車が修理不能の程度に毀損された場合、損害として認められるのは当該車両の事故当時の価格であるとされているところ、本件においては、原告車の本件事故当時における価格を認定するに足りる的確な証拠がないので、前記認定にかかる原告車の購入車両価格(一七万円)、購入時から本件事故時までの期間(二か月間余り)ならびに同期間中における原告車の使用状態(毎日運転使用)等を勘案して、原告車の本件事故当時における価格を少くとも一六万円を下廻らないものと見積り、これをもつて原告車滅失による損害額と認めることとする。

(五)  過失相殺

以上(一)ないし(四)の損害を合計すると九七一万三、四四七円となるところ、前記四で説示のとおり本件事故の発生については原告にも三割の過失が認められるので、右損害につき三割の過失相殺をすると六七九万九、四一二円(ただし一円未満切捨)となる。

(六)  損害の填補

原告が本件事故による損害の填補として自動車損害賠償責任保険から一五一万円の支払を受けたことは当事者間に争いがない。そこで、前記(五)の過失相殺後の損害額六七九万九、四一二円から右損害の填補額一五一万円を控除すると、残額は五二八万九、四一二円となる。

(七)  弁護士費用

弁論の全趣旨によれば、原告は、本件損害の賠償の支払を任意に受けることができず、本件訴訟の提起追行を弁護士である原告訴訟代理人に委任せざるを得なかつたことが認められるところ、本件事案の内容、審理の経過、認容額等に照らし、右金員のうち原告が被告に対し本件事故による損害として賠償を求めることができる額は五三万円と認めるのが相当である。

六  結論

よつて原告の本訴請求は、以上合計五八一万九、四一二円および内金五二八万九、四一二円(右損害から弁護士費用を除いたもの)に対する本件訴状送達の日の翌日であることが記録上明らかな昭和五〇年九月九日から完済まで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める限度で理由があるからこれを認容し、その余は理由がないから棄却し、訴訟費用の負担につき民事訴訟法八九条、九二条、仮執行の宣言および同逸脱の宣言につき同法一九六条を適用して主文のとおり判決する。

(裁判官 竹原俊一)

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